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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)6815号 判決 1961年10月09日

事実

原告苅込順之亮は請求原因として、被告堀留運送株式会社は昭和三十一年八月二十八日頃、訴外渡良憲に宛てて、何れも額面を金六万円とする約束手形十六通を、何れも振出日を白地として振り出し、訴外渡にその白地補充権を与えてこれを交付した。原告は、昭和三十一年八月二十八日、訴外渡から本件各約束手形の裏書譲渡を受け、昭和三十五年十月六日その白地補充権に基づいて振出日を昭和三十一年八月二十八日と補充し、所持人として、支払期日が昭和三十六年七月五日以前のもの十四通について、その各期日に支払場所に呈示して支払を求めたが拒絶され、その他の手形についても、被告は支払義務がないといつて支払拒絶の意思を表明している。よつて、原告は、既に支払期日の到来している手形十六通の手形金合計九十六万円の即時支払と支払期日未到来の分一通の金十万円について支払期日限りの支払を求める、と主張した。

被告堀留運送株式会社は抗弁として、本件約束手形十七通は、当時の被告会社の代表取締役訴外渡良憲が、取締役会の承認を得ずに自己あてに振り出した無効のもので、何人もその権利を取得することはできない。仮りに、本件各手形の振出行為の無効をもつて、善意の取得者に主張できないとしても、原告は、取締役会の承認のなかつたことを充分承知の上本件各手形の裏書を受けた悪意の手形取得者であるから、本件手形上の権利を取得することはできない。また、仮りに原告が善意であつたとしても、原告にはその善意であるについて重大な過失があつたものであるから、本件手形上の権利を取得することはできない。さらに、右の主張が何れも理由がないとしても、本件各手形は、被告会社が訴外渡良憲との間に何らの原因関係がなくて振り出したものであるところ、原告は、その間の事情を知悉しておりながら、被告会社を害することを知つて本件各手形を取得したものであるから、被告会社は、これを理由としてその支払を拒絶すると、抗争した。

理由

本件各手形の振出行為が商法第二百六十五条にいわゆる自己取引に該当するかどうかについて判断するのに、大審院は明治四二年(オ)第二七九号同年一二月二日民事連合部の判決以来、会社がその取締役に宛てて手形を振り出す行為は、自己取引に該当すると解している。なる程、会社の代表取締役が取締役会の承認を得ることなく、その会社の取締役個人に宛てて手形を振り出すとすれば、ある場合にはその取締役個人の利得において会社に損害を生ずる虞がないといえないところであるけれども、その損害の生ずる虞のあることを理由として、その手形をすべて無効とするとすれば、株式会社の振り出した手形については、すべてその手形取得者において手形の受取人がその振出当時振出会社の取締役であつたかどうか、取締役であつた場合には、その振出について取締役会の承認が与えられているかどうかを調査しなければならないこととなり、会社により手形取引の多い今日の経済社会においては不可能を強いるに等しく、甚しく手形の流通を阻害し、円滑、迅速、安全な経済取引は、到底望むべくもないといわなければならない。のみならず、元来手形行為なるものは、一定の経済的目的を達するために奉仕する単なる取引の手段に過ぎないもので、それ自体無色透明なものであつて何ら利害の衝突を生ずべきものではなく、利害の衝突を生ずるのは、あくまでその原因関係のみであつて、原因関係について、取締役会の承認があれば、さらにそれに基づく手形行為についてまで取締役会の承認を得なければならない性質のものではないといわなければならない。従つて原因関係について取締役会の承認を受けることなくして手形を振り出した代表取締役は手形振出行為に関してではなく、原因関係について取締役会の承認を得なかつたということに関して法令違反又は忠誠義務違反として会社に対し損害賠償の義務を負担すべき場合が生じ、又は、手形の受取人となつた取締役個人から当該手形の支払請求を受けた会社としては、原因関係に基づく人的抗弁を提出してその支払を拒絶し得る場合のあるのは格別、手形の振出行為自体は、自己取引に該当しないもの、即ち当該手形は、商法第二百六十五条によつては無効にならないものと解するのが相当である。

とすると、本件約束手形が、商法第二百六十五条に違反して無効であることを前提とする被告の抗弁は、その余の点について判断するまでもなく失当であつて採用の限りではない。

次に、被告の原因関係がないことを理由とする悪意の抗弁について判断するのに、証人渡良憲の証言によれば、訴外渡良憲は、個人として被告会社に対して約金四百万円の債権を有していたものであるところ、被告会社は、その支払のために本件各手形を振り出したものと認められるから、被告の右抗弁も理由がない。

以上の次第で、被告会社は、原告に対し、本件各約束手形金の支払義務があるものというべきであるから、原告の本訴請求は全部正当である。

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